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弁護士日記

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光市母子殺害事件最高裁判決を支持する

2012年02月21日

 昨日、最高裁は、山口県光市母子殺人事件について上告棄却の判決を下した。これによって、大月被告(事件当時18歳)の死刑判決が確定した。
 最初に私の立場を明確にするが、私は死刑肯定論者である。むしろ、死刑推進論者といってもよい。
 私は、この判決を当然の結果と理解する。何らの落ち度のない母子を冷酷に殺害したのであるから、当たり前の結論である。被告人は、1歳にもならない幼児とその母親を殺したのである。死刑を受けるのは当然である。
 ところが、このような非人間的な残虐犯罪を実行しておきながら、当時の年齢が18歳であったことを考慮して死刑を回避するべきであるという立場がある。この立場とは、「事件当時は少年だったので考え方が未熟であった。だから事件を起こしたことも大目に見て欲しい」という理屈に近い。
 しかし、私はこれには賛成できない。なぜなら、18歳という年齢は、今日では、十分に物事の善悪を判断することが可能な年齢とみてよいからである。事件当時の被告人の年齢が18歳であることは、死刑を回避する理由とはならない。
 また、事件後に反省しているから死刑とすべきではない、という理屈も刑事弁護人側からしばしば唱えられる理屈である。しかし、事件後に、被告人がどれくらい反省しようとしまいと、殺害された人間の命は決して戻って来ない。
 さらに、根本的な問題点として、反省しているかどうかは、あくまで内心の問題であるから、客観的に「反省している心の状況」を認定することはできないという欠陥がある。仮に、本人が表面的に反省の言葉を述べていたとしても、そのことだけから、心底反省していると認めることはできないのである。
 それに加え、「反省している」とは、どのような心理状態を意味するのか?という難しい問題がある。
要するに、本当の心理状態は、被告人以外の者には分からないということである。したがって、結局のところ、被告人は、自分が引き起こした結果については、自分の命でもって償うほかないのである。
 今回の最高裁裁判官のうち、一人だけ、精神的熟成度が18歳に達した少年としては相当程度低いというべきだから、再度、高裁に差し戻して審理を尽くす必要があるという反対意見を述べた(宮川裁判官)。
 しかし、このような意見は間違いである。同じ最高裁の金築裁判官が指摘するよう、少年法は18歳という客観的基準を設けて、18歳以上であれば死刑を選択することができるとしているのであるから、精神的熟成度が18歳に達していたか否か、というようなことを、死刑選択の新たな基準として設定することはできないのである。
 なお、このような厳しい結果が出た一つの要素として、大月被告が下級審(地裁及び高裁)段階で、普通の人間には全く理解できない奇想天外な自己弁護ないし弁解を弄していたことが、最高裁の裁判官の心証を相当悪くしたのではないかと推測する。要するに、「被告人は被害者及びその遺族を愚弄しているのではないか。被告人は反省を全くしていないのではないか。であれば死刑も已む得ないのではないか」ということになったのではなかろうかと推理する(ただし、私見によれば、前記したとおり、犯人が「反省」しているかどうかは、余り重要な問題ではない。)。 
 判決後、被害者の遺族である本村さんは、記者会見の席で、被告人に対し、「死の恐怖を通じて罪の重さをかみしめて欲しい」と述べた。私も同感である。
 大月被告は、自分が死刑になる、つまり殺されるという恐怖感を今後、毎日味わうことになろう。被告人の犯情は極めて悪質かつ残虐なものであるから、自分が殺されるという恐怖感を日々味わって余生を生きる道義的義務がある。そうした極限状況に置かれない限り、被告人には、真の意味の反省は生まれないであろう。
 なお、以前、テレビ報道で、アメリカ合衆国の州の一部には、希望する遺族に対し、死刑の執行の現場に立ち会わせることを認める州があることを知った。遺族の復讐感情を考慮した場合、日本でもそのような制度を採用するかどうか検討してもよいと考える。
                                     

日時:13:07|この記事のページ

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