2月の25日(木)に大阪府内の自治体の関係者から招かれてT町を訪問した。T町は、関西空港に近い場所にある。目的は、T町ほかの自治体の農業委員会の職員のために農地転用に伴う問題点について話をするためであった。その日は、T町農業委員会事務局長のK氏が公用車で泉佐野駅まで迎えに来られた。
研修は、T町内の公共施設の会議室で実施された。会場内には、15,6名ほどの農業委員会関係者が来られ、皆さん熱心に受講をされた。T町内における90分間のセミナーが終わった後に、私は、K氏にお礼を述べて、すぐに南海電車で和歌山市内に移動した。
その日は、和歌山市内のビジネスホテルに泊まったが、ちょうど1階にM書店があったので、夕方に気になった本を数冊買い求めた。そのうちの1冊が、中村逸郎氏が書かれた「ロシアを決して信じるな」(新潮選書)である。
中村氏は、大阪朝日放送に毎週土曜日の朝9時半から同11時まで「正義のミカタ」という番組があるが、その番組に何回も登場し、ロシアをめぐる諸問題について解説をされている。筑波大学教授という肩書からは想像もできないほど、面白い人物である。
しかし、中村氏は、モスクワ大学などに留学の経験もあるそうであり、ロシア政治の専門家としてテレビでの解説もそれなりに信ぴょう性が感じられた。そこで、この本を買って読んだわけである。平易な本であるため、一日か二日で読める。読んだ結果、ロシアという国は、全く信用できない国であるということが再認識できた。信用してはいけないのである。
本の第4章のタイトルは「決して信じるな-ロシア人は噓八百」である。この章を読む前から、私は、安倍晋三前首相が、長年にわたってロシアのプーチン大統領によっていいように騙されてきた事実を思い浮かべた。
安倍前首相は、在任中に、プーチン大統領と個人的信頼関係を築くことを通じて、北方四島のうち、歯舞諸島と色丹島が先に日本に引き渡されることが実現されるが如く発言をしてきたが、全く期待外れであった。
より正確にいえば、首脳間の信頼を深めることで、島が返ってくることなど期待する方が無理である、ということが全然分かっていなかった。もともと政治家の家系に生まれた世襲政治家であり、「お坊ちゃん」である安倍前首相には、ロシア人の本質が全く分かっていなかったようである。
中村氏が、2019年、ロシアの友人と会って話をした際に、そのロシア人は、「相手を信じやすく、騙されやすい人は、すぐにロシア人の恰好の餌食の的となり、騙されてしまう。このタイプの人間には、嘘の約束をするのが一番だ。ロシア人はどんどん嘘の約束を重ねていけばいいだけのこと。実際には何も失うものはないので、こんな楽な相手はいない。」と述べたという(72頁)。
プーチン大統領の人間性について、中村氏は、相手が自分との関係を友達の関係にしたいという下心をもっていると見抜くと「それを突いてくる。相手をお人よしの政治家と捉え、子供扱いする。容赦なく揺さぶり、嘘の約束を連発する。」と観察する(91頁)。私も全く同意見である。安倍前首相は、現にプーチン大統領に完全になめられていたのである。
そして、中村氏は、北方領土交渉について、「まずは仕切り直しする勇気をもち、永久に存続するはずのないプーチン政権の行く末を見定めてからでも遅くない」と説く(92頁)。私も同じ考え方である。四島の不法占有を長年継続するロシアに対し、あくまで四島の一括返還を求めるべきである。
本の最後の方で、中村氏は、やむなくロシア人と付き合う際には、「なるべくロシア人とは約束しないのが正しい付き合い方である。相手を信頼しても、最終的には裏切られ、悲惨な結末に落胆することになる。」と結論付ける。
それにしても、日本とロシアでは国民の基本的な考え方(文化)が違いすぎる。つまり、日本の常識でロシア人の行動を予測ないし判断すると、合理的な説明ができない場面が起こるということである。日本では「信用を失うと、回復は容易でない」というが、ロシアの場合、信用を重んじる文化自体がない。騙される方が悪いという考え方であり、そこは中国と共通する。
日本の外交を担っているのは外務省であるが、本当に頼りない役所である。外交とは、国益の実現をかけた武器を使用しない戦争という定義がある。日本の外務省の姿をみていると、優柔不断というか、いうべきことも言わずにお茶を濁して平然としているというか、信頼感が全くない。実に情けない役所である。このような存在感のない役所は、むしろ、廃止・解体してはどうか。
そのトップを務める茂木外相というと、怒るべきときにも怒らず、いつもヘラヘラとした表情を浮かべている姿が目に浮かぶ(先日中国の王毅が来日して、尖閣諸島についてとんでもない暴言を吐いた際の茂木氏の対応は最低であった。将来の国家指導者の資質はない。)。
日本は、その穏やかで誠実な国民性の伝統を継承しつつ、こと外交になったら、狡猾で悪賢い外交を得意とする外国(中国、北朝鮮、韓国、ロシア)に対抗するため、あらゆる方法を駆使する必要がある。いつも優等生のような、クソ真面目な態度をとっていてはダメである。
それには、おかしな憲法9条を改正し、法体系を根本的に見直し、また、軍事・非軍事両面の科学・工学技術を大いに発展させ、もって、国力をいっそう充実させることが肝要と考える。
昨日は「竹島の日」であった。竹島については韓国による根拠のない不法占拠が続いている。韓国による日本領土の不法占拠の事実は、それ自体が、国家間の国際的紛争を生じさせる事実に該当する。
何事でも同じことであるが、法的紛争というものは、例えば交通事故のように全く予期せずに突発的に起こる場合もあるが、多くの場合は、長年にわたって継続した事実が根本原因となっている場合が多い。
例えば、国内の土地の境界線をめぐる問題は、ある日、急に生じるものではない。一方の土地所有者Aが、隣人Bの土地に食い込む形で塀を建て、Bの土地の占有を始め、そのようなおかしな状態が長年にわたって続いた結果、ようやく隣人Bが「Aが自分の土地に越境して塀を建てて使っている。これはおかしいではないか。」と声を上げる場合が典型例である。
その場合、国内であれば、Bが裁判所に駆け込み、民事訴訟を起こし、正しい境界線を決めてもらうことで紛争が解決する。Bが一方的に訴訟を起こした場合、仮にAがそれを無視して出廷しようとしない場合、普通は、Aにとって不利な内容の判決が出る。ただし、Aの不法占有期間が20年を超えると、本来の境界線(筆界)の問題とは別に、越境部分の土地の所有権が、取得時効によってAに生じるという厄介な問題が起こる可能性が高い。
本来であれば、このような事態になる前に、つまりAによる越境行為が始まった直後に、BはAに対し「塀をすぐに撤去しろ」と請求する必要があった。
ところで、国際紛争の場合、国家間の紛争は、国際司法裁判所(ICJ。インターナショナル コート オブ ジャスティス)が審理をして、判決を出して解決することになっている。
しかし、国内紛争と大きな違いがあり、強制管轄権が存在しないため、双方の国が合意して管轄権を認めるか(付託合意)あるいは一方の国が提訴したのに対し、相手国も応訴することで管轄権が生じる場合がある(応訴合意)。そのほかにも、あらかじめ将来生じる紛争についてICJに付託することを合意していることで(裁判条約)、管轄権が生じる場合がある(柳原ほか編「プラクティス国際法講義」369頁参照)。
日本が、勧告による竹島の不法占拠問題について平和的に決着を付けようとして、仮に国際司法裁判所に提訴した場合、韓国としては、強制管轄がないことを理由に、裁判所に出てこない可能性が非常に高い。裁判で負ける可能性が高いからである。敗訴することを恐れているのである。
では、なぜ韓国が敗訴するといえるのか?それは、以下の事実からである(年表については産経新聞2021年2月22日付け朝刊参照)。
➀ 日本は、明治38年に、政府が竹島を島根県に編入することを閣議決定した。日本政府が国家として正式に閣議決定した以上、明治38年以降、竹島は、法的に日本領になったということである。
ここで疑問が生じる。その時点で、韓国政府は、日本の決定に対し抗議をしなかったのか、という疑問である。韓国は、当時、日本に対し何ら抗議をしていない。ということは、当時、韓国政府は竹島が日本の固有の領土であることを認めていたということになる。
➁ 明治43年、日本による韓国併合が行われた。韓国は、韓国併合条約を日本と締結したということである。ここで次のような意見が韓国から出ている。上記の編入が行われた際、韓国は国力が弱かったので、日本に抗議することができなかった、と。しかし、これは理由にならない。国として抗議をすることは、何も武力を行使するような大事ではないから、容易にできたはずである、と。韓国流の解釈からは、太平洋戦争で日本が敗戦し、GHQの命令下で制定された日本国憲法など無効ということになる。
➂ 昭和27年1月、韓国は、一方的に「李承晩ライン」を設定し、日本領である竹島を李承晩ラインの内側に取り込んだ。つまり、事実上の占有を開始した。韓国は、泥棒行為を行った。また、日本漁船を違法に拿捕し始めた。
本来であれば、このような違法行為に対し、日本は実力を行使し、李承晩ラインを認めないという対応をする必要があった。しかし、敗戦後の国力不足の時代が災いし、できなかった。
➃ 昭和29年、韓国は、海洋警察隊を竹島に常駐させるようになった。
➄ 昭和40年、日韓基本条約が締結され、李承晩ラインは撤去された。しかし、竹島問題は棚上げされた。日本は、問題解決の好機をみすみす逃した。
日本外交の一番の弱点が、ここで表面化した。日本は、昔から懸案事項を先送りするという悪い文化があるということである。その精神とは、物凄い労力を払ってギリギリと論点を詰めて問題を合理的に解決するよりは、話し合いで解決できる事柄だけをすぐに解決し、難題については将来に委ねようという安易極まる精神である。難しい話は、すべて先送りしようという根性であり、世にいう「事なかれ主義」と共通する。いわば、責任放棄ということである。
本来であれば、日韓条約が締結される際を利用して、竹島は日本領であるという事実を韓国に文書で認めさせる必要があった。国家間の条約において「竹島は日本の領土である」と明記しておけば、少なくとも、今日のような韓国による竹島の全面的不法占拠はなかったのである(もっとも、韓国という国は国際合意を平気で破る信用のならない国であるから、書面化しておいても、その後、竹島に居座り続けたかもしれない。)。
以上のことから、我が国は、即座に国際司法裁判所に提訴すべきである。仮に日本が勝訴しても、韓国が不法占拠を改めない可能性が高いが、世界に対し、韓国は判決を無視する後進国であるというマイナス情報を発信することができる。これは、韓国を牽制するための一つの武器となる。仮に日本が敗訴した場合は、現状が維持されるだけのことであり、特に大きなマイナス面は生じない。
今後も韓国に対しては、他の国以上に大きな警戒心を払う必要がある。間違っても「友好親善」などという空虚な美辞麗句に惑わされてはいけない。日本の全てを「悪」とみなす、世界で唯一の反日国家である韓国(人)との融和は、未来永劫あり得ない。
令和3年2月20日付けの産経新聞によれば、内閣府が行った最新の調査で、今後の日韓関係の発展が重要だと思わない、あるいはあまり重要だと思わないという回答が日本国民の40パーセントに達したとの世論調査結果が出た。また、同じく、日韓関係が良好だと思わない、あるいはあまり思わないという結果は82パーセントであった。
私の持論は、我が国は、今後、韓国との交流を中止せよというものである。仮にいきなり中止することが難しい場合は、できる限りのスピード感をもって交流を縮小する方向にもってゆくべきである。
理由をあげればきりがないので、ここでは、3つの理由をあげる。
第1に、戦後、韓国は、歴史的事実を歪曲し、日本を攻撃してきた事実をあげることができる。歴史的事実の歪曲の最たるものは、慰安婦問題の創作である。慰安婦問題については、最近、ハーバード大学のJ・マーク・ラムザイヤー教授が学術論文を発表している。ラムザイヤー教授によれば、慰安婦とは、韓国人や一部の反日的日本人が唱える「性奴隷」とは似ても似つかぬ存在であった。慰安婦とは、有体にいえば、売春婦そのものであった。
令和2年1月31日に産経新聞に掲載された記事によれば、ラムザイヤー教授は、「日本の本国政府や朝鮮総督府が女性に売春を強制したのではないし、日本軍が不正な募集業者に協力したのでもない。業者がもっぱら慰安婦募集を行っていたのですらない。問題は、数十年にわたり女性を売春宿で働くようにたぶらかしてきた朝鮮内の募集業者にあった。」と指摘する。つまり、慰安婦は、契約によって雇用された女性(ビジネスウーマン)にすぎない。
つまり、本人も納得ずくで働いていたのである。普通の一般労働者と基本は同じということである。また、これまでのところ、日本政府や日本軍が、朝鮮において慰安婦の募集に関係していたという証拠は一つも出ていない。にもかかわらず、韓国は、事実を歪曲し、あたかも日本政府ないし日本軍が強制的に女性を働かせたと嘘の宣伝を繰り返している。韓国人の大半も間違った情報に完全に洗脳されてしまっており、もはや修正不可能である。
また、令和3年2月21日の産経新聞によれば、韓国内では、ラムザイヤー教授に対する攻撃が始まり、米国のハーバード大学ロースクールの韓国人学生会が、ラムザイヤー教授に対する糾弾声明を出している。まさに狂気の沙汰という現象が起きている。思うに、韓国人という国民は非常に思い込みが激しい民族のようである。ちょうど、中世において、教会が天動説を採用していた時代に、地動説を唱える学者が出たところ、そのような考え方はありえないとして刑に処した事実と似ている。
歴史的な事実を歪曲する国民とは極力関わらない方が日本にとっては安全であり、無用のトラブルに巻き込まれないための有効な方法と考える。
第2に、以前にも述べたことであるが、韓国は、我が国の固有の領土である竹島を、李承晩政権以来長期間にわたって不法占拠している。分かりやすくいえば、竹島をわが国から盗んだ上、自分の領土であると大きな顔をしている。私は、このような泥棒根性にまみれた国とは、交流をすべきではないと確信する。仮に韓国が、竹島を日本に返還してきたときは、反省の情がうかがえるとして交流を考えてもよいが、泥棒国家である韓国が、竹島を日本に返還することは、天と地がひっくり返ってもあり得ない。絶対にない。
第3に、日本にとって韓国と交流することに利点がないことをあげることができる。一部の評論家は、韓国を西側陣営に繋ぎとめておくことは、日本の安全保障・防衛にとって重要であるという意見を吐くことが多い。しかし、これには疑問がある。なぜなら、上記の評論家の論理とは、我が国が、例えば、北朝鮮や中国と戦争状態に陥った際に、韓国は日本に味方するという大前提がある。しかし、これは幻想にすぎない。有事において、韓国はどちらに転ぶか分かったものではない。私の見立てでは、韓国は、むしろ北朝鮮や中国の側に付く可能性が高い。つまり、韓国は日本にとっては仮想敵国の一つということである。敵と交流することは、よほど警戒していないと、危険が伴う。
これらの理由に、なお一つ付け加えると、韓国という国は、日本が善意で行ったことについても、後になって何だかんだと非難を行い、日本を攻撃しようとする性癖がある。世間のトラブルメーカーと似ている。後になってから、言いがかりを付けられないためにも、交流の機会は、極力減らすのが上策ということである。
以上、我が国政府は、日本の国益を擁護するためには、いつでも韓国と交流を断つ、という強いメッセージを出す必要がある。ところが、現実は全く違う。韓国の顔色を窺おうとする卑屈な反日的政治家が野党のみならず、自民党にも多く存在する(マスメディアにおいても特にその傾向が強い)。いつまでたっても、太平洋戦争で連合国に負けた国というおかしな意識が残っているためであろう。いい加減、そのような過去の意識から脱局し、明治初頭にみられたような「富国強兵政策」を再び未来に向けて大胆に実行すべきである。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が本日(2月21日)、会長を辞任する旨を公表した。辞任の理由は、女性蔑視の発言の責任を取るということである。ただし、森氏の発言を注意深く聞くと、自分がこの地位に留まることは東京オリンピック開催の妨げになるため、それを考慮して辞任するという発言であると理解できる。
森氏については、戦後の自民党出身総理大臣経験者のうちで、私の主観的評価によれば、ワースト1または2の人物であると以前から考えていた(もう一人のワースト1候補は、福田康夫氏である。この人物は、「中国の嫌がることをしてはならぬ」というおかしな信条の持主であった。このようなダメな人物が日本国の首相になってしまうこと自体が驚きであった。それがワースト1とされる理由である)。
さて、森氏については、左翼野党は、森氏の問題発言があってから、しつこく辞任を要求してきた。日本の野党の中で最も左に位置する日本共産党には藤野保史議員という人物がいる。
この人物は、2016年に、公開の場で、防衛費について「人を殺すための予算である」という有名な言葉を吐いた事実がある。この藤野という議員が、現時点で防衛費についてどう考えているかは不明であるが、このような人物が幹部を務めていた政党を支持することは、普通の常識を備えた国民からはあり得ない。
他国から加えられる我が国に対する不法な攻撃を防ぎ、日本国民の基本的権利・財産を守るためには、国防(国家防衛)のための予算は極めて重要なものとなる。国を守るための費用が必要なものであることは、日本に限らず世界のどの国の国民であっても分かることである。そのような普通の中学生ですら分かる当たり前のことが、この藤野という共産主義を信奉する国会議員には理解できていなかったようである。無知の極みとは、このような人物の考え方を指すものといえよう。
さて、そのような経歴を持つ藤野議員は、何日か前に、国会で、菅首相に対し「森会長を辞めさせるつもりはないか」と質問した。これに対し、菅首相は「組織委員会は公益財団法人であり、政府とは別の組織であるから、そのようなことは考えていない」と回答した。
これは、法的には全く正当な説明である。一国の首相であっても、第1に、組織委員会は独立した法人であり、第2に、首相について任命権を根拠付ける条文が置かれていない。これらのことから、日本国の首相に会長の任免権がないことは、普通の高校生でも理解できる話である。任免権がない以上、菅首相の一存で森会長を辞めさせることなど、最初からできないのである。
ここで、一般の国民であればすぐに気が付くことがある。日本学術会議の問題である。日本学術会議の問題の場合、首相には、法律上、明文で任命権(推薦を受けた者を正式に会員に任命する権限)があることが明記されていた。ところが日本共産党の主張とは、学術会議の方で推薦した者をそのまま無条件で任命する義務があるという、とんでもない暴論であった。その根拠は、そのように解釈しないと、日本学術会議の独立性が揺らぐという屁理屈であった。しかし、これは、法治主義に反する極めて独善的な解釈であり、とうてい容認できない間違った考え方である。
ところが、今回の森会長の問題になると、法律上は任免権を持たないことが明白な菅首相に対し、政治介入をして「組織委員会の森会長を辞めさせろ」と要求している。本来であれば日本学術会議の問題を提起した日本共産党の立場とは相容れないはずの暴論を、森会長の問題になると国会で主張している。国会議員の特権(免責特権。憲法51条)にあぐらをかいていると批判されてもやむをえないであろう。
私の主観によれば、左翼野党の基本戦略とは、ともかく政府に対し政治的な攻撃を次々とかけ、政府が困る事態を作出することが善であると考えている、と結論付けることができる。論理的な整合性があろうとなかろうと、そんなことは関係ないのである。例えば、森氏が会長を辞め、それが一つの原因となってオリンピックの開催が中止に追い込まれ、結果、政府が苦境に立つ情勢を作り上げることができれば、上出来という考え方である。
これに国民が不満を感じ、あるいは失望し、政府が困る状況が生まれれば、次回の衆議院選挙で有利に立てるという算段である。その過程で日本国民が残念に思うこと(オリンピックの開催中止)が起きようと、選挙に勝つためなら、そんなことは知ったことではないという偏狭で自己中心的な物の考え方である。
以上のことから、私は、現在の左翼野党を全く信用していないし、また、左翼野党が政権を奪い返すことも、今後少なくとも30年間はないとみている(いうまでもなく、期待など最初からない。)。
ただし、以前にも指摘したことであるが、戦勝国となった米国が、敗戦国となった日本を恒久的に弱体化するために日本に押し付けた憲法9条を尊重する現在の立憲民主党の幹部(例 枝野氏、福山氏、安住氏、蓮舫氏、辻本氏等の古手議員)が全員政界から去って、全く新しい物の考え方(例えば、国防の要となる自衛隊を憲法9条で正式に承認するため憲法改正が必要と考えること)をする議員が野党政党の幹部の過半数を占めた場合は、政権交代も可能とみる。
日々、いろいろな事件やニュースが起きている。今回は、最近起きている事実に対する私の感想を若干述べてみる。
第1に、中国共産党の支配する強権・独裁・全体主義国家である中国から発生した武漢ウイルス(世間でいう「新型コロナウイルス」)の新規発生者の数が、日に日に減少している点をあげることができる。これは良いニュースである。緊急事態宣言を発出した効果が確実に現れているといえる。
他方、重症病床の使用率はやや低減傾向にあるが、依然として高止まりしているというニュースをよく耳にする。また、新型コロナによって死亡する患者の数はむしろ増加傾向にあるという報告も聞く。
ここで、マスコミの報道について違和感がある。「新規感染者数は減少しているが、死亡する者が増えている」という報道が盛んにされる。政府や都道府県の長も、死亡者数が減らないことを問題視しているかの如く伝えられ方がされている。マスコミ自身は、このことを一体どのように評価しているのか?という点が不明だからである。私の感じでは、そのようなことは否定的に評価するべきである、という風に聞こえてしまう。
しかし、これはおかしい。理論的に考える限り、新規感染者が明らかに減少傾向にあるとしても、過去に入院して比較的長期にわたって治療を受けている累積患者数が同時に急に低下するはずがないからである。したがって、死亡する者の数が増えること自体は、プラスにもマイナスにも評価することではないし、むしろ、自然の推移と考えるべきだからである。つまり、死亡者の数が増加していること自体は、何らおかしなことではない(何らかの不手際による結果ではない。)。また、問題視すべきことでもない。治療者側(医療機関)が最大限の努力を払っている限り、死亡者の数が増えても、そのこと自体はやむを得ないことであり、何ら怪しむべきことではないのである。このことから、現在、新規感染者数が顕著に減少していることを根拠として、今後、もう一段の減少がみられた場合は、その段階で緊急事態宣言をすみやかに解除すべきである。
問題なのは、これまで長期間にわたって医師の数(医学部定員)を抑制しようとしてきた日本医師会の間違った意見にある。重症者が死亡する原因の一つは、この点にあると考える。医師の数が仮に現在の二倍あれば、重症者も、現在よりも手厚い治療を受けることが容易にできたのではなかろうか。重症者の死亡者が増えていることを仮に非難することができるとすれば、唯一非難されるべきは日本医師会である。
第2に、これは失笑してしまった話であるが、本日付けの岐阜新聞によれば、日弁連(日本弁護士連合会)が、歴史上の人物の相談に弁護士が応じる漫画アニメをユーチューブに公開したという記事があった。例えば、「明智光秀を本能寺に行かせない篇」では、明智光秀が、主君である信長に対し怒りにまかせ刀を抜く場面があり、そこで登場する弁護士が「いけません。法律があなたを守ります。手だてを一緒に考えましょう」と説くという話が登場するそうである。
私の感想は、「ズレていないか日弁連」というものである。法的なトラブルを解決するため、弁護士がお役に立ちますというPR効果、つまり法律相談に来て欲しいという願いを表現したものであることは分かるが、光秀にしろ信長にしろ、「基本的人権の尊重」とか、「法の支配」という概念自体がなかった時代に生きた人物である。
その人物を引き合いに出して、光秀が抜いた刀を弁護士が六法全書で受け止めるという漫画は、果たして多くの国民の共感を得るに足りる品質を備えているか、日弁連の担当者は自問自答した方がよい。歴史上の有能な人物である明智光秀をバカにしているとも受け取られかねない今回のPRは、私だったら絶対にやらない。
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