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弁護士日記

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産経新聞による「ヤルタ密約に英疑念」の報道に接して

2016年12月07日

 2016年12月6日付けの産経新聞の記事によれば、ロシアが北方領土の領有を正当化する根拠のうちで、一番先にあげるのが「ヤルタ密約」の存在であるという。
 ヤルタ密約については、高校の歴史の教科書でも写真が掲載されているので、歴史を勉強したことがある人々には記憶があるのではなかろうか。1945年の2月にクリミア半島のヤルタにおいて、3人の首脳会談が開催された。すなわち、アメリカ大統領のルーズベルトが中央に座り、その左右に、イギリスの首相であるチャーチルとソ連の首相であるスターリンが並んで座り、3人で何やら話し込んでいる姿を写した写真である。
 今回分かったことは、英国政府が、第二次世界大戦が終了した直後の1946年2月には、ヤルタ密約の有効性について疑義を有していたということである。
 歴史的事実として、当時、アメリカの大統領であったルーズベルトは、当時のソ連の対日参戦の条件として、当時、我が国の領土であった樺太、千島列島の領有を認めるという条件を出し、当時、スターリンは、この提案に狂喜したという。
 ところが、ヤルタ密約は、ルーズベルトが大統領としての正当な権限に基づくことなく署名したものであって、アメリカ上院の批准もなかった。そのため、1953年に大統領となった共和党のアイゼンハワー大統領は、あらゆる秘密協定を破棄すると宣言し、その後も、1956年には、アイゼンハワー政権は、ヤルタ協定はルーズベルトが個人として行ったものにすぎず、アメリカ政府の公式文書ではなく無効である、との国務省声明を出すにいたっている。つまり、冷戦が既に始まっていた1956年には、アメリカの公式見解は、ヤルタ協定は無効であり、よってソ連による北方領土の占有には法的根拠がないことを確認しているのである。
 3当事国のうち、アメリカの態度は上記のようなものであった。英国政府は、前記のとおり、1946年2月に、既にヤルタ協定の有効性について疑義を持っていたことが分かったのである。
 実は英国政府は、それよりも前の1941年の8月には、米国とともに、領土不拡大の原則をうたう大西洋憲章に正式に署名している。「領土不拡大の原則」とは、簡単にいえば、戦勝国といえども敗戦国の領土を奪ってはならないという原則であり、少なくとも、西欧民主主義の国家であった米国と英国はそのような原則を遵守するという立場をとっていたのである。
 ところが、当時のソ連は、自由平等の民主主義国家などではなく、独裁者スターリンの率いる共産主義国家であって、最初から、米英と価値観を共有する立場にはなかったのである。スターリンは、20世紀における3大悪人の一人といわれており、国内・国外の多くの人間の命を奪ってきた、まさに大悪人である。(なお、3大悪人とは、ソ連のスターリン、ナチスドイツのヒットラー、中国共産党の毛沢東の3人を指す)。
 そもそも我が国は、ヤルタ協定の締結当事国ではないから、そのような密約に拘束されるいわれはない。また、我が国は、確かに、1951年のサンフランシスコ講和条約を締結し、千島列島に対する権利を放棄しているが、ここでいう「千島列島」には、我が国固有の領土である択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は含まれていない。
 さらに、ソ連は、講和会議に出席したものの、この条約には署名していない。したがって、ソ連との関係でいえば、サンフランシスコ講和条約の内容は、日本とソ連(ロシア)を法的に拘束しないのである。したがって、ロシアによる北方領土の占有は、明らかな不法占拠である。
 今月には、ソ連を継承したロシアと、我が国との日ロ首脳会談が山口県で開催される。
 ロシアという国は、力の信奉者であるから、正当な根拠があろうとなかろうと、自らが強権を行使することによって、自国に有利になるよう国際紛争を解決しようとする。
したがって、対ロシア交渉においては、いくら我が国が、その歴史的正当性を力説しても無駄であろう。効果があるのは、ロシアにとって大きな利益が生じる条件を我が国が提示した場合に限定されるであろう。しかし、我が国が、仮にそのような条件を提示したとしても、北方領土が早期に帰ってくる保障はないのである。

日時:15:45|この記事のページ

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