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弁護士日記

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テロ等準備罪の法案可決を歓迎する

2017年06月16日

 長年の懸案事項であったテロ等準備罪の法案が可決・成立した。私は、これを大いに歓迎する。
 今回の法案の正式名称は、組織犯罪処罰法の改正案であり、共謀罪の構成要件を厳格化したものということである。処罰の対象となる団体は、犯罪組織であり、犯罪と無縁の一般市民から成る団体は対象外である。処罰の対象となる犯罪組織の典型例として頭に浮かぶのは、暴力革命を唱える極左暴力集団、山口組などの広域暴力団、テロを企てる内外の犯罪組織などである。
 ところが、朝日新聞を先頭とするマスコミ各社、テレビの報道番組などの評価は、私の評価とは逆であり、おおむね否定的な評価となっている。その代表格が、慰安婦問題で根拠を欠く記事を掲載し、我が日本国に対し多大の迷惑を掛けた朝日新聞である。
 朝日新聞の6月16日付けの朝刊を見てみると、1面の見出しで「広がる監視 厳しく見つめる」とある。
中身を読むと、東京社会部の長谷川玲氏の署名記事があり、「共謀罪の本質は、捜査当局にテロ対策を口実として幅広く監視を許す点にある」と書かれている。続いて、「共謀罪があるだけで民主社会の萎縮を招くとの指摘も根強い」とある。さらに、「与党は審議を強引に打ち切り、議論の場すら意図的に失わせた」と主張する。
 しかし、私は、長谷川氏の主張の全部を否認する。理由は、次のとおりである。
 第1に、捜査当局にテロ対策を口実として幅広く監視を許すとしている箇所について反論する。テロの対象は、通常、罪のない一般国民であり、朝日新聞のようなマスコミ各社ではない。では、今後、一般国民を対象としたテロが日本で発生する危険が全くないのかと言えば、決してそうではなく、油断をしてはならないと考えるのが最近の平均的国民の意識であると考えて間違いない。
 そうすると、テロを未然に防止する対策をとる必要があることは万人が否定できない。その場合、一般国民が自主的に自警団を構成し、テロ組織と対峙するということは考え難く、対策を担うのは、組織力と能力を備えた警察ということに帰着する。
 ただし、警察は、行政機関の一種であり、テロ対策の具体的方策をとるに当たっては、法律の根拠を要する(法律による行政の原則)。勝手にテロ対策を講ずることはできないのである。今回、テロ対策のための法律の根拠が出来たということであり、大いに意味があるのである。
 ここで、長谷川氏の言う「広く監視を許す社会」が到来するかという点には多大の疑問がある。上記のとおり、テロを未然に防止し、国民の生命・財産・身体を保護するには、テロを起こす可能性のある犯罪組織を監視する必要があることは当然である。
長谷川氏は、警察がそのような活動をする際に、善良な一般国民も監視の対象となってしまうという危惧感を露わにする。
 しかし、警察官も人の子であり、人員や予算にも一定の限界があり、テロ対策にほとんど役立たないような市民団体の活動に対し、予算と人員をつぎ込む余裕などないと断定してよい。つまり、長谷川氏の思いは、杞憂にすぎないということである。
 第2点について。共謀罪があるだけで、民主社会の萎縮を招くとの指摘も肯定できない。共謀罪によって検挙され、裁判にかけられるのは、犯罪組織に属する構成員に限定されるからである。
 一般の団体が、組織犯罪を企てることは容易に想定し難い。したがって、身に覚えのない団体であれば、摘発の対象とならないのである。そのような状況下で、どうして民主社会の萎縮が起こるというのであろうか。仮に、本当に身に覚えのない者が逮捕された場合は、刑事事件を専門とする有能な弁護士に対し、自分の弁護を依頼することで、不当な逮捕や拘留を抑止することが可能である。
 我が国は、中国やロシアのような強権国家ではないのであり、野党の政治家が、どれほど安倍政権を公然と非難しても、それを理由に逮捕されたり暗殺されたりすることは無い民主的な社会なのである。この状況は、テロ等準備罪が成立した後も、変わることはないと断定できる。よって、この点に関する長谷川氏の心配は、やはり杞憂と言うほかない。
 第3点について。長谷川氏は、「与党は審議を強引に打ち切り、議論の場すら意図的に失わせた」と言う。しかし、これもおかしい。我が国は、代表制民主主義国家であり、国会議員による国会における審議を通じ、法案を可決成立させるという基本に立っているからである。
 この制度下では、国会における討論と採決で事が決まる。討論をするのは、法案をより良いものとすることに眼目があり、今回の野党のように、最初から廃案しかないと決めている場合は、討論に時間をかけても無駄ということである。
 与党は法案を可決させたい、かたや野党は廃案にしたいと、それぞれが全く相反する立場をとる限り、討論に多大の時間を掛けても、結局、双方の基本的な立場には変更はなく、時間の無駄ということである。
 また、長谷川氏は、審議を強引に打ち切ったと言うが、法案を可決するか否かは、多数決で決定することになっている以上、多数派である与党が圧倒的な数で法案を通すことは、ある意味で当たり前のことである。この現象に対し、「強行採決」という評価をする立場があったとしたら、それは間違った認識であると言わねばならない。強行採決ではなく、当たり前の採決ということである。
 仮に、この当たり前の採決に対し、それは「数の横暴である」という野党の議員がいたとしたら、次回の総選挙で自分たちが勝利し、多数派となって、野党の言う「数の横暴」現象を阻止すればすむということである。
 自分たちが多数派になれるか否かは、主権者である国民が決定することであり、仮に現在の安倍政権に対し、「安倍一強の強権政治」と非難するのであれば、それは現在の与党を成立させた源である国民を非難していることと同じことになる。
 私は、間違った考え方に囚われている野党の諸君に言いたい。「何か文句があるなら、自分たちが次の国政選挙に勝って、国会で多数派を構成してみろ」と。
     

日時:16:11|この記事のページ

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